守破離と調べると、
日本の茶道や武道における、修行の段階などと書かれている。
そこから派生して、様々なシーンに当てはめられるわけだが、
モノづくりにおいてはどうか?
僕は繊維業界に属してテキスタイルを創っている者で、
経験から考えてみようと思います。
そこを丁寧に考え進めることが、伝統のアウトライン、つまりはカタチの際を見つけることになるのです。
そして、そこをなぞる事が大事!
これが伝統を守ることの、本来の意だと思います。
守破離(しゅはり)とは何か?
守・・・師の教えを徹底的に覚え込むこと。基本の型
破・・・師の型を自分なりにアップデートすること。自分の型
離・・・自分の型を磨き、進化すること。新たな型
守破離を僕の解釈でまとめてみました。
ここからさらに、経験を含めて深掘りしていきます。
守・・・覚えるというより観察すること
徹底的に覚え込むという行為は、モノづくりにおいてはとても大事です。
これだけ覚えればというのはなくて、一連の工程がモノづくり
その繋ぎ目がミスを誘発しやすい。
徹底的に覚えるということはミスを減らすこと以上に、
ミスを起こしたとしても、一連の動きの中で早めに気づきリカバリーできるということに意味があります。
なので、
徹底的に覚え込むというのは丸覚えすることではなく、
一連の工程の前後の意味も含めて徹底的に学ぶ姿勢が必要になるワケです。
学校の丸暗記型勉強法ではてんでダメ。
モノづくりにおける学びは、徹底的な観察とその工程の意味についての考察が大事なのですよ。
破・・・常に疑うこと
師の型を徹底的に覚え込むと同時に、常に疑って考えることも大事です。
相反することのように思えますが、
「もっと良くなるには、何をしたらいいだろう?」という視点はいつでも持っておくべきです。
なぜなら、師の型が完成ではないから!
自分なりに改善点だなぁと思ったら、師に尋ねてみることです。
今までの経験からあえて損に見えるやり方をとっている場合もあるし、
盲点だった場合もあります。
教えてもらったことが完成型ではないから、アップデートの余地はある。
そこに自分が気づくためには、守でいうところの観察を丁寧にやることです。
離・・・次なる師になること
僕は今自分の型を磨いているところ、現在進行形です。
けれども、確信していることは、一つ。
自分が覚えたことしか、教えることはできない。
進化することの最終工程は、次に教えることだと思っています。
これは離の段階に考えるというよりも、
前提として守の時から考えておくということが大事なのではないかと思うのです。
なので、
守破をずーっと繰り返しながら、最終的な離の型を作り上げていく。
この型というのは技術の集合体というよりも、伝統のアウトラインそのもので、
次なる可能性を示すカタチそのものだろう。
そういう存在になっていくことを自ら望むばかりだ。
伝統のカタチとはなにか?
以前小林秀雄さんの本を読んだときに書いてあった言葉がずっと残っている。
「伝統にはハッキリとカタチがあると思う」
僕なりに、ずっとカタチとはなんだろうと考えてきました。
守破離というのは、個人の修行段階を示すものではなくて、
永続的に続いていくものだと捉える。そこが大事なような気がします。
離が最終形で終わりなのではなく、進化した新たな型は次の守へ結ぶ。
新たな型というのは、技術の集合体というよりも人そのものに現れる。
それがモノのカタチの正体なんじゃないかと思っている。
次の守(弟子)は、その人にとっての最善の離を求めていく。
僕の感覚から言えば、
師の離からさらに離れようとすることは、アウトラインのほんの少し外側をなぞるようなことなんじゃないかと思っている。
それが永続的に続いていくとするならば、遠目で見たときに線が太く濃く見えるような感じ。
クッキリとありありとしている様を、伝統というのではないだろうか。
そこには確かな守破離というものが存在しているわけだけれども、
そこまで観ようとしなければ、伝統のカタチなんて見えるはずもない。
しょうもない知識人の、言葉あそびに惑わされることなく、
汗水垂らして、幾分前の守破離について思いを馳せて、自分の番だと気を引き締めたい限りだ。
今回は、伝統と、モノづくりと、守破離を絡めて、迷走してみました。
以上、SHOCKMAN