日本テキスタイルの行方と織人デザイン

thinking

先日の展示会でも良く聞かれた質問

「これは何になる生地?」

「逆に何になるか聞きたいから出てるんですけどねぇ」とやんわり返す。

デザイナーも聞いてくるし、作る側も聞いてくる。

挨拶みたいにとりあえず聞くみたいな感じが全く好きになれない。

というのも僕は、

織人のデザインは、あっと驚くアートのように”新しい”ことに特化すべきと思っている派だからだ。

もちろん織物設計をする上で、自分なりにテクスチャーの狙いはあって、

最終的に細かい調整をして出来上がるわけだが。

それでも目的をハッキリさせないということが大事だと考えている。

純粋に”新しい”をデザインするのが織人

デザインにも段階があって、僕らはその第一段階、デザイナーへの提案だ。

ファッションデザイナーやテキスタイルデザイナーは第二段階

僕らの提案を自分のストーリーに落とし込み、より共感できるカタチで一般に提案する。

と考えると、僕らはまず荒削りでも”新しい”に特化したテキスタイルを創っていく必要がある。

何になるか?なんて考えるヒマがあるなら、とにかく今までにないものを探るに尽きるのだ。

僕らが創り出すモノは単なるマテリアルでなく、根源的な意味でのアートそのものである。

そういう気概なくして、デザイナーと勝負することなどできるはずもない。

だがしかし、

この意識が低かったことが、この業界の低迷に繋がっているとみる。

つまりは、作り手自らが”新しい”挑戦よりも”既存”に寄りかかりすぎた。

既存を出発点にしてしまったがために、マイナーチェンジで満足するようになってしまったのだ。

僕はそこに抗戦するために、SHOCKMANと謳い既存の職人と別つこととした。

純粋に新しいを追求していく覚悟が必要だ。それが僕らのデザインである。

そのためには、常に”既存”は疑うものとして扱わなければならないだろう。

それなくして、日本のテキスタイルに未来はない。

日本のテキスタイルの未来

僕的に、日本のテキスタイルの追求すべき要素は2つ

・難解なテキスタイル

・布っぽくないテキスタイル

なんではないかと考えている。

難解であるということは、技術的に模倣し辛い、もしくは創る工程の複雑さである。

布っぽくないということは、異種混合、もしくは立体的であるなどテクスチャ〜的表現のバリエーションである。

新しいを追求していくと、概ねこの2つにぶち当たる。

東南アジア勢のテキスタイルが伸びている中で、クオリティもかなり上がってきている。

そこに安価を提示されたらば、そっちに流れるのは当然の理であって、

そうなるのは、日本のそれとは大差ないと思われているからである。

それはなぜか?

テキスタイル先進国であった日本の、新しい提案が滞っっているからだ。

既存の中にどっぷり浸かった人間に、全く新しいモノなど生み出せるハズがない。

マイナーチェンジでお茶を濁してきたつけは、未来にどんどん積み重なっている。

もっと危機感を持たなければならないし、

若手はもっとそこにキレなければならない。

そのために僕は、既存に交わらず我が信じる道を突き進む。

新しいことは孤独そのものだ。

だけれども、それなくしてテキスタイルの未来などない。

そこに早くに気づけた織人が、スゴイモノをデザインし創り出している。

おわり

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