すごい職人の見つけ方

thinking

完全に独断によるものであるが、

ここに記す視点で職人を見ている人は少ないだろう。

僕は繊維業界に入ってきた新参者(六年目)として、多くの落胆と一部の驚嘆を持っている。

驚嘆は片手で収まるぐらいの小さきモノである。

多くの人は、「職人=すごい人たち」みたいな、ある種のフィルターがかかっているように見えるが、

それが全く良くない。

全てを記すことはしないが、ごく一部をランダムに書いてみる。

難しそうに語る職人は大したことない

難しいんだよみたいなニュアンスを含む語りや、

ハッキリと物言わず考え込んだふりしてあやふやにするタイプは、大したことない。(なかった)

難しそうに話すということは、要はわかっていないということである。

ハッキリと物言わないこともしかり、

わからなければ、調べるとか知らないとか、すごい職人はその棲み分けがキッチリとできている。

なぜなら自分でできるところが、職人の全てであるからだ。

できることを増やしていくためには、物事を論理的に解釈するクセというものが大事。

経験と感覚だけに頼っている職人は、少なからずブレていて安定して良いモノは作り出せないだろう。

安定するということは、キチンとした理論があって、その上に経験値がセンサーとして機能してこそである。

難しそうに話すことは、わかっていないということであり、

それがどこまでわかっていないかということもわかっていない、ということなのである。

二流にありがちなパターン。

そもそも、お客さんに難しいことを伝える必要性はなくて、

この難しさがどう面白くなるのか、といった魅力を伝えることに意味があるだろう。

お客さん側も、「職人=すごい人たち」というフィルターをまず外すことが求められる。

このフィルターがあると、感動します〜みたいな感想で終わりになってしまいがちである。

勿体なさすぎる。

せっかく現場を見るのであれば、もう一歩踏み込んで覗いてみること、

「何が難しいのか?」という視点が大切であると思っている。

以前、隈研吾さんも何かのインタビューで同じようなことを言っていた。

職人を馬鹿にしているワケではなく、そういった踏み込みがなければ、

全くモノが見えてこないのである。

自分ではできないかもしれないが、深く理解しようとする姿勢が重要である。

なぜなら

本質的なモノづくりは、双方の譲れない戦いであるからだ。

踏み込んでいかなくては、想像以上のモノなどできるはずもないだろう。

技は手でなく手首に宿る

メディア誌などでよく、職人紹介ページで手の写真を載せている場合があるが、僕は違和感を覚える。

”手”は誤魔化しが効く。

肉体労働では当然誰でも手を酷使することになるわけで、それを白黒で撮ってみたならば、

何かしら深い意味でもあるような陰影が浮かび上がる。

これでは見分けることはできない。

そこで僕がいつも着目しているのは、手首だ。

もっと言えば手首から前腕にかけての雰囲気にある。

筋骨隆々としているのが良いというわけでもなく、手を動かす軸に着目することが大事という話だ。

ここに意識が宿っている職人は、全くもって誤魔化していない。

手は、作り出しているところの先端は、誰しもが誤魔化せる。

僕たち職人は、口よりも手首が多くを語る。

未来を内包していること

モノづくりにおいて一番大事だと思うのは、今に未来が内包されているということだ。

モノづくりにおける未来は、”人”である。

技術や伝統は継承されていくものではない。むしろ継承されると劣化していく。(考えなくなっていく)

次の人へバトンタッチされるものは、モノとの向き合い方・姿勢であると僕は考える。

ということは、自らに常に突きつけられる刃であることをどれだけ意識できるか?

そういったことを分かっている人は、今に未来が内包されている。

その姿勢は言葉や仕事への向き合い方に滲み出る、やっぱり違う。

僕自身もここは強く意識している。

自分ができることしか、教えることはできない。

職人にとってこれが全てであることを深く理解しているから、

6年目の今も、できる限り新しいことへ挑戦し、吸収することに全力を注いでいる。

すごい職人の見つけ方

僕は、職人の世界に憧れたひとりだ。

全く別の業界から来た人間であるから、それ以前とそれ以降をよくよく観察できた。

正直いって、落胆の方が大きかった。

思った以上に情熱で動いている人は少なかった。

はっきり言って、私見としてのすごい職人はどの業界でも限りなく少ない。

だけれども、僕は少ない中の驚嘆に圧倒され続けているからこそ今も全力疾走できている。

そういう職人と出会えることは、ものすごくパワーをもらえるものなのだ。

メディアが作り上げてきたステレオタイプな職人像は、何も踏み込んでいない。

人は時間軸に縛られているから、ちょっと年季が入っているとすごいと感じてしまう。

むしろ、身体的パフォーマンス低下に伴い精神力も低下している、老人に過ぎない人が多い。

既存のフィルターは取っ払って、ぜひ踏み込んで観るようにしてみてください。

きっと、見え方が全然違ってくると思います。

本当にモノを見ようと思えば、作り手と同化するように観なくては見えてきません。

そこが、とても大事なように僕は思います。

喋り・手首・姿勢

今回はこの3点に絞って、思うままに書いてみました。

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