大森靖子「死神」を聴きながら、自己愛について思うこと

thinking

チャンス大城さんのユーチューブを散歩していたら、引っかかった大森靖子さんの「死神」という曲

結構興味深いことを言っていて、何回もリピートして聴いてみる。

自分の「死神」という側面とどう向き合うか、みたいな愛の話で、

今回はそのことについて少し考察を深めてみよう。

大森靖子「死神」と「天使」

歌詞冒頭に出てくる死神と天使、もしくは僕と君

二人称で語られているけど、どれもが自分のある側面だということ。

曲の中で一番好きな言葉は、

見た目とか体裁とかどうでもいいっていって抱きしめてよ

いつか男とか女とか関係なくなるくらいに愛し合おうよ

大森靖子「死神」の歌詞より抜粋

この言葉と歌い方がとっても良くて、深く入ってくる。

「自分」というものの対に「他人」を置くと、そこには関係性というものができてくる。

けれども、愛というものは分かつものがなく永遠という意味においてひとつであって、

「自分」と「他人」の間に関係性がない状態ということ。

つまり大事なのは、「ある側面の自分」を認識することの先だと思うのです。

どう愛せるか?

どう関係性をなくしていけるか、ということです。

たとえバケモノだったとしても、

それもまた自分だ!と言えるかい?ということを問うているように聴こえます。

その葛藤もまた、愛に基づいて蠢いているのです。

自分という存在すら多様で、それを認識するところから人生は始まります。

そして、そのいくつもの自分を愛するということが何より大事ではないか。

自己愛の根本、言葉で言うと安くなってしまうのだが、大概の人がここに悩んでいる。

僕が素晴らしいなぁと思うのは、自己愛から見える世界という表現を感じるところ。

「死神」というタイトルからしてネガティブな曲かと思いきや、そうではないのです。

メロディの壮大な広がりに、葛藤とそこから始まる予感が潜んでいるようで、

とってもお気に入りソングとなりました。

ぜひ、聴いてみてください、オススメ!

以上、SHOCKMAN

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