「アシタカはなぜたたら場に残ったのか?」から考えるもののけ姫のメッセージ

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こんにちは、SHOCKMANです。

もののけ姫を見終わって、最初に思ったのは、

「呪い解けたけど、アシタカ村に戻んないの?」

こう思ったのは僕だけではないはず。

映画自体テンポよく進んでいくし、アシタカの心境が読みづらいんですよね。

タイトルが「もののけ姫」というのもあって、サンとの愛に注目しがちですけど、

僕の考察では、

もののけ姫は、アシタカが葛藤の末悟りに至る物語

アシタカの心境を追って見ていくと、メッセージが込められまくっていることに気づきます。

今回は、その辺を考察していく内容になっています。

興味ある方は、最後まで読んでみてください。

(あくまで、俺ジブリです)

アシタカがたたら場に残ると言ったわけ

アシタカまげを切る

まず、シーンごとにアシタカの心境を探っていこうと思います。

アシタカ、村追放

冒頭、タタリ神の呪いを受けてしまうアシタカは、

ヒイ様の令に従って、西に進むことになります。

「くもりなきまなこで見定めたならば、呪いが解けるかもしれない」

表情ひとつ変えずに告げるヒイ様

この時、ヒイ様が恐れていたものは、

アシタカ自身がタタリ神になっていき、苦しみの果てにこの村を滅ぼすこと、です。

それを予知できていたけれど、この事実が皆に伝わるのは残酷すぎるから、

あえてポーカーフェイスで諭しているんですね。

アシタカは、殺すときにどんな覚悟も決めてましたと、キッパリ言います。

だから、最後まで礼儀正しく振る舞った。

マゲを切るということは、もうこの村の人間ではなくなるわけです。(=社会的な死)

もう帰ってくることはない、

それどころか、この時はいずれ死ぬことすらも覚悟しているのです。

村を出る直前に、カヤが見送りにきます。

「いつも、いつも、兄様を想っています」と言って、黒曜石の小刀を渡す。

禁止されているに関わらず、忍んで会いにきたことから、

アシタカとはすでに関係ができていたと推測されます。

大事なものを渡したことの意味は、添い遂げますという証、つまり貞操なんですね。

それに対して、

アシタカも「私も想おう!」さらっと言って足早に村を去ります。

そして、壮大な音楽と背景

ここすごくテンポが良すぎて、違和感あった人多いのではないでしょうか?

でも、ここにアシタカの心情が隠れているんですね。

おそらく結婚するはずだったカヤに、男としての情けない顔見せたくないわけです。

ものすごい悲しさがある、

なぜ自分がタタリをもらわなきゃならないのか?

この無常感を、なんとか自分の中で止めようとしている。

大事な人に想いを見せずに去りたい、強い意思が隠れているんだと考えます。

それがこの後の壮大なシーンで蠢いているんです。

そうやってみると、見え方全く違ってくるんです。

その時のアシタカは、すべてを受け入れようと葛藤しているんです。

カヤとの別れ、村との別れ、死の運命すべてを

たたら場でのアシタカ

たたら場での価値観の揺らぎ

たたら場に来たアシアカは、人の手によって森が壊されることを目にします。

タタリ神になったイノシシにあった鉄の玉も、エボシによるものだとわかった。

それまで、自然信仰の中で生きてきたアシタカにとっては、怒り以外持ちようのないものでした。

だけれども、

エボシを慕って生き生きと働く女性たちやハンセン病の人々を見て、葛藤が生まれます。

このタタラ場は、売られた女性たち、ハンセン病によって差別された人たち、

つまり、社会から居場所を無くした人たちを受け入れてる場所だったのです。

アシタカも同じような境遇にあったから、今まで考えていなかった新しい視点が生まれる。

だから、葛藤があるんですね。

アシタカからもらった黒曜石の小刀

もののけ姫との出会い

山犬に育てられたサンとの出会いもまた、アシタカにとっての葛藤です。

タタラ場とは違う境遇だけれども同様なんですね。

人間の居場所を無くしたサンもまた、命をまっとうしようとしている

アシタカは、カヤの形見である黒曜石の小刀をサンに渡します。

このシーンがあっさり描かれているから、「なんてやつだ!」と思った方も多いのでは?
(投げてるし)

でもおそらくアシタカは、

自分の死を受け入れてもなお、生きようとする人を守りたい

その一心に尽きると思うのです。

自分のいた村も、たたら場も、サンたちも、自然も

死を覚悟してもなお、できることをまっとうしようとするところに”美しさ”があるんです。

サンに言った様に。

アシタカ悟る

クライマックスのシシ神様の首をとるところ

ダイダラボッチが暴走して、自然が壊れていく。

生きることは、死ぬということ

そういう生命自体を象徴しているのではないかと考えます。

つまり、分けて考えるものではないということです。

仏教で言えば

一心ゆえに不乱なり

分けられないものをムリに分けようとするから、暴走が起こる。

ということではないんですね、

これが葛藤の末辿り着いたアシタカの悟り

「シシ神様は死にはしないよ、生命そのものだから。」

なんでも、分けれないんですよ。

自然VS人間、ではないんですよ。

2項対立にするから、争いが起きてしまうわけです。

最後にアシタカが言った「共に生きよう」

そこには、サンだけに向けた言葉に聞こえない深さがあるのです。

アシタカ、タタラ場に残る選択

社会的に死んだものたちが懸命に生きることの素晴らしさ

アシタカにとって、とにかく美しいわけです。

共に生きよう

まだまだこの道の模索は始まったばかり

タタラ場の立て直しもある。

自分の物理的死すら受け入れた、勇気あるアシタカに胸打たれたけど、

こっからだよな!な感じに、人生懸命に燃やしてこそだよなと気付かされます。

タタラ場に残ったのは帰る場所がなくなったから、という方もいますが、

僕は、ここが落ち着いたら、一旦帰ることもありえるなぁという思いを受けました。

アシタカの葛藤から見る、もののけ姫のメッセージ

シシ神様

僕が受けた1番のメッセージ

生きることは、死ぬということ

生と死は分けられないものとして捉えると、

どうやったって、死ぬまでは生きることができるということです。

アシタカは、死という運命を背負って旅に出た。

”社会的な死”を受けた人々が懸命に生きている社会と自然

共に、懸命に生きることが美しく素晴らしいことじゃないか、

そんなメッセージを感じました。

合理性を突き詰めていく資本主義に対するアンチテーゼという見方も大いにあるだろうけど、

言葉に表せないような気持ち、を得ることが一番響いた気がします。

昔見て、なんとなくしか覚えてないという方に、

ぜひ、アシタカの心境を考えながら再度見てほしいなぁと思います。

生を懸命にまっとうすることが、とにかく素晴らしい!

もののけ姫は、これに尽きると思うのです。

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