こんにちは、SHOCKMANです。
今回は、ふと思い出した四国お遍路の話を少ししようと思います。
人生に強烈に残っている経験の一つで、あれは一体なんだったんだろうということについて考えてみます。
これからお遍路やってみようかという方や、
あれって何か意味あんの?
そう思った方の参考になればなぁと思います。
歩き遍路から8年を経て、その意味について考える
8年前、仕事を辞めてすぐに四国88ヶ所巡礼に出かけた。
人生に迷いがあったわけではない。
ただ、「学生時代にやり残したことをやるチャンスは今しかない!」
そういう思いから歩き出しただけの話
空海とうどんが好きだから、シンプルな理由が身体を突き動かしたわけだ。
歩き遍路中、出会う人々によく「目的は何?」ということを聞かれたり、
「歩き通せたら願い事が一つ叶うんだぞ、何を願う?」ということを言われたりした。
その度に「はて?」という感じで、「みんなちゃんとした理由があるのだなぁ」という具合だった。
こんな感じの答えをしていたら、逆に説教されたこともあった。
明らかに放浪へんろ者だろう方に、そんなムダなことがあるか!みたいなことを言われて、
こんなところで喧嘩するのはアホらしい、
途中で切り上げることにしたが、心に何かが引っ掛かった。
そんなことを言われるものだから、僕も出会うお遍路さんに聞いたりもしてみた。
中には、奥さん亡くして1周年の弔いがてらというステキな返事があった。
僕が一番しっくりきたのは奇しくも外人のお遍路さんで、「やってみたいから」
やっぱり、その一言に尽きた。
【歩き遍路の意味】僕にとっての意味は・・・おむすびの味
歩き遍路やった30日の中で、色々あった。色々な人との出会いもあった。
その中で一番覚えていることが、一番の学び。そう思う。
僕にとってそれは、山の上で食べたおむすびの味なんですよ。
確かあれは、高知の終わり際。
その日泊まる民宿は素泊まりで、道中知り合ったおじさんと一緒に夜ご飯を食べて遅い入りとなった。
明日は7時には出るとだけ伝えて就寝した次の日の朝、
この先山もあるからとお接待でおにぎりを作ってくれていたのだった。
こちらは素泊まりでろくに会話することもなかったのだけれども、こういう親切な対応がとても嬉しかったことを覚えている。
山の上で食べようと決めて、黙々と登る。
歩いている時は、きつい・しんどい以外の言葉出てこないぐらいのテンション
ちょうどいい岩にもたれかかっておにぎりをむしゃむしゃ。
これがたまらなく美味しかった!
たくわんも3キレ添えてあって、これもすこぶる美味しくて。
具のコンブの塩っけが、身体が求めるそのものだった。
僕はあの時の衝動を今でも覚えているのだけれど、人生で一番うまい!と思った瞬間だった。
未だに、あの衝撃を超えた味はない。
歩き遍路に意味はあるのか?あのカタチが幸せのカタチ
人生、おむすび一つで、ここまで歓喜することがあるんだろうか?
お遍路という特殊な経験が生み出したものであることは間違いない。
幸せというものはいろんなカタチがある。
一番シンプルなおにぎりがそうであったのであれば、
人生、幸せなんてどこにでもある。
始まりと同じ、シンプルな理由に落ち着くのだ。
そこに行き着くまで、ただひたすらに歩いた。
【歩き遍路に意味はある】シンプルが一番響く、を身体で理解する
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ただひたすらに歩きたい
ただひたすらに、感じたい
頭の中にあるあれこれは全部雑念だ。
だけれども、その雑念がシンプルな衝動を引き起こす引き金となる。
どちらも大事なことであるから、
ひたすら考えて、行動する。
その全てに幸せのカタチは潜んでいる。
そこに気づけるかで人生の見方は大きく変わる。
歩き遍路で強烈に学んだこのことが、僕にとっての意味
ここでしか味わえかったろう味に出会えたこと
ひたすらに感謝しかないのだ。