空き家を自分ひとりでリフォームしている。
少しずつできるので、一気にドーンと新築みたいな衝撃を受けることはないのだが、
一息ついた時に、じわじわとくる感じがDIYの醍醐味なのだなぁと心得る。
暮らしながら、ボロ家が少しずつ自分に馴染んでいく感じとか、
その過程があるというのはすごく大事なことだ。
新築もしくはリフォーム後となると、最初こそ感動があるものの、
人間というのは愚かで、いつの間にかそれが普通となってしまうと、馴染むことすら当たり前となる。
DIYをしていると、どんどん上達する自分がいるわけ、
そうなると、例えば左官した場合、
あの壁とこの壁を比べて、ずいぶん下手だなぁとかここはいいとか、その時々にいろんな思いが駆け巡る。
そして何よりも、プロが作った大枠をいじっているわけなので、プロとアマが混在している。
全部が完成されているものには、圧倒される。
がしかし、自分が入るスキマがなさそうなもので、
下手なりにも自分が練り込まれている壁がある方がグッとくると、どこまでも人間であるなぁと思う。
このプロとアマの間にこそ、モノづくりの本質は眠っている。
そしてそれを体感することが、モノと向き合うということの真意だと自覚する。
つまり、モノは作り手のごとく観る、
という視点をどこまでイマジネーションできるかということ。
そうすると、自分には到底できないなという部分が見えてくる。
それこそが、個の凝縮されたオリジナルそのもので、本来モノの先のそこにそこ用がある。
こういう見方をすると、心底感服に浸れるのでオススメです。
昨今は情報先行で、名前みて作品みて「すご〜」みたいな一連の流れがモノを見る傾向にあり、
とても勿体無い。
やっぱり心にハードなSHOCKを与えてナンボであるし、
それを与えるのも、結局は自分次第だということに気づかされるのであります。
おわり